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武居由樹 の X プロフィール画像

武居由樹

Yoshiki Takei

国籍
日本(JPN)
階級
スーパーバンタム級
構え
southpaw
  • P2
  • P4
  • P5

生きざま

足立区の母子家庭で生まれ、10歳で母の手を離れた少年は、二つの世界で頂点に立った男になった。 1996年7月12日、東京都足立区。母子家庭で育った武居由樹は、母親の言うことをまったく聞かない問題児だった。「親子心中まで考えた」と母が後に明かすほど。10歳の時、母は彼をキックボクシングジム POWER OF DREAM の古川誠一会長宅に預けた。会長宅で他の問題児と共同生活、門限と朝練と学校と夜練のサイクルが始まる。武居自身が後に語ったように「生みの親と10年、その後の14年は育ての親」。会長夫人の躾で礼儀を学び直した経験が、現在の「ベビーフェイス」と呼ばれる温和さの根底にある。 都立足立東高校ではボクシング部キャプテン。アマチュア通算約20戦、勝率半々。ある試合では相手を投げてしまい失格負けという、ボクサーらしくない少年期だった。同時期、那須川天心とドローを記録している。 2015年プロキックボクサーデビュー。2016年6月に初代 Krush -53kg 王座。2017年4月、K-1 WORLD GP 第2代スーパー・バンタム級王者。2019年にもトーナメント優勝で連覇。K-1 リングネームは「壊しのベビーフェイス」、入場曲は QUEEN「I WAS BORN TO LOVE YOU」。K-1 通算 25戦23勝 (16KO) 2敗。ヒョーゴ・ファイティング・キングという呼称も生まれた。 2020年12月、K-1 卒業を発表。「蹴るのが難しいような感じの怪我をしてしまって。それでちょっと考えた感じでした」。直接の決め手は怪我だったが、転向の心理的後押しは2019年11月の井上尚弥 vs ドネア戦だった。「ボクシングっていいな」と感じた瞬間。古川会長は K-1 最後の試合後に「お前もうボクシングに行くといいよ」と背中を押した。大橋ボクシングジム入門。トレーナーは元三階級制覇王者・八重樫東、ミットは引き続き古川会長という二重サポート体制。 2021年3月、ボクシングプロデビュー。1回 TKO 勝ち。2022年8月、5戦目で OPBF 東洋太平洋スーパーバンタム級王座を獲得し、3度のダウンを奪う5回 TKO で勝利した。 2024年5月6日、東京ドーム。プロ9戦目で世界戦の舞台に立った。相手は WBO 世界バンタム級王者ジェイソン・モロニー (オーストラリア)。12回判定 (117-110, 116-111, 116-111) で勝利し、史上初の K-1 とボクシングのダブル世界王者となった。JBC 公認の通算100人目の男子世界王者。リング上の第一声は「足立区から来た武居が東京ドームで世界チャンピオンになりました。12R 結構キツくて、KO で勝ちたかったんですけど、モロニー選手が強くて」。最初に挙げた感謝先は「会長と会長の奥さん、かあちゃん、ジムの仲間」。 同年9月、有明アリーナで比嘉大吾を判定で破り V1。2025年5月、横浜文化体育館でユッタポン・トンディーを1回 TKO で V2。 しかし2025年9月14日、名古屋 IG アリーナ。指名挑戦者クリスチャン・メディナ (メキシコ) に1回ダウンを喫し、4回1分21秒、右アッパーの連打で TKO 負け。プロ12戦目で初の黒星、王座陥落。試合後、武居は号泣しながら言った。「単純にメディナ選手が本当に強かった。全部自分のパンチが読まれていて、それに合わされた」「自分のパワーを過信しすぎていた」。 2026年5月2日、東京ドーム セミファイナル。階級をスーパーバンタムへ上げてのノンタイトル8回戦、相手は中国の WBA Asia 王者ワン・デカン。アマチュア時代にドローを記録した那須川天心も、同興行で復帰戦に立つ。武居は「最高の舞台、最高の日にセミファイナルで再出発します。背水の陣です。覚悟はできてます。自分史上最高の武居由樹で戦います」と表明した。古川会長のミットと八重樫の戦略へ原点回帰した男が、二つの世界で勝ち抜いた拳をもう一度握る。

※ 編集部が AI 下書きを校正のうえ公開しています

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